– 対談 –
柚野の里から
富士錦酒造と同じ芝川町内で有機農業に取り組む松木一浩氏。30代後半に東京から移住してゼロから農業を始め、今やレストラン営業も含めた大規模なプロジェクトを進行中のスーパー農業人だ。話を聞くのは、都会から柚野に移住したという意味でも、日本の食文化への思いという意味でも、共通点の多い同年代の清社長。今年の酒の仕込みを前に、松木氏に小社の田園にお越しいただき、以前から熱望していた対談がついに実現した。
“結”という伝統にすごく惹かれますね
清:
まずは乾杯からいきましょうか。
松木:
乾杯! 大吟醸ですか。
すごくフルーティーな香りですね。おいしいです。
清:
ありがとうございます。ではさっそくですが、松木さんが農業を始めるにあたって芝川町を選んだきっかけは?
松木:
本当に偶然なんですよね。
僕は37歳から栃木で農業の勉強を1年半ぐらいやって、うちのカミさんの実家が静岡市内なので、静岡の周辺で土地を探してました。
当時は田舎でのんびり暮らすことだけ考えていたので、釣りができる川があって、温泉があるということが第一条件で(笑)
それでたまたまこの辺りに来たときに、温泉もあるし、水もきれいだし、その日は富士山がすごくきれいに見えて、ああ良いところだなと。
で、役場に行って就農計画書を出したら、たまたま担当の農業委員さんがすごく良い方で、農地も空き家も借りられて。
ある意味非常にラッキーだったと思います。
清:
釣りライフは充実しましたか?
松木:
いや忙しくて全然できません(笑)
ただ、不思議なんですよね。
都会に住んでいたときは、こういうところを求めて釣りに行きたい行きたいという感じでしたが、普段この場にどっぷり浸かってしまうと、行かなくても何となく満たされるんですよね(笑)
やっぱり人間ってないものを求めているんだなと。
清:
富士山が近くに見えると、
いつでも行けると思ってなかなか行かないのと同じですね。
松木:
ええ。僕も登ったことないです(笑)
清:
こちらに住んでみて驚いたことは?
松木:
まず冠婚葬祭は驚きましたね。
こちらでは葬式を自宅でやって、その準備を隣組の人たちでやるんですよね。
いきなり山に竹を切りに行くぞとか言われて、えーって(笑)
しかも葬式のときは、近所の人がみんな普通に会社を休むのにビックリしました。
あと、一面識もない人から結婚式の招待状をもらったりとか(笑)
誰だろう?と思ったら、組の方でした。
清:
私も同じ経験があります。
婿という形でこちらに来たんですが、最初は私のほうは周りの人を誰も知らないんですが、周りの人はみんな私のことを知ってるんですよ(笑)
隣同士の距離感が近くて、昔ながら日本の良さがまだ残ってますよね。
松木:
そういう話を近所のおばちゃんに聞くと、それがあるからお金のない人も葬式を出せるんだよねと。
昔から米作りを近所みんなの共同作業でやっていて、昔の“結(ゆい)”という良き伝統が残っているんですよね。
おばちゃんが子どもの頃は、田植えや稲刈りの時期は、学校が1週間ぐらい休みになっていたそうですから(笑)
だから、寄り合いもたくさんあって、近所の人たちとお酒を飲む機会も多いですよね。
祭りのときも、御神酒(おみき)が欠かせないですし。
清:
そうですね。
昔は今のように流通が便利ではなかったので、町内に造り酒屋があるのは当たり前だったみたいですね。
長いこと柚野で酒造りをやらせてもらっているのも、そういう根強い文化と強く関係していると思います。
冬の農作業が少ない時期に、酒造りは大事な仕事のひとつでもありましたから。
その他に、こちらに来て気に入っていることはありますか?
松木:
信号がないのはいいですね。
柚野には信号がひとつもないので(笑)
だから、たまに大きな街に行くと、信号が多くてイライラします。
それに、田舎だからといってあまり不便は感じないですね。
ただ、ADSLが通ったときは、涙が出るほどうれしかったですけど(笑)
清:
私がこっちに来てすごく感じたのは、空気も水もきれいで、夜には空がすごくきれいなんですよね。
東京では流れ星なんて見たことなかったですが、こちらに来て初めて流れ星を見たんですよ。
今も冬になると、2日に一度ぐらい流れ星を見ます。
それで夏になると近所に蛍が出たりして、これが日本の原風景なのかなと。
子供たちがこういう中で育って、大人になってその経験を子どもに伝えていくということを脈々と続けてきたんですよね。
松木:
本当ですね。
あと富士山の景色はやはり最高ですね。
いつも癒やされてますし、ここで農業ができて本当に幸せだなと思いますよ。
清:
そういう話を聞くとうれしいですね。
ところで松木さんは、今のような仕事の展開を最初から考えていたんですか?
松木:
まったく考えてないですね(笑)
30歳頃から田舎暮らしをしたいという思いが強くなってきたんですけど、農業という選択肢はなくて、たとえば田舎に行ってペンションでもやりたいよねぐらいの気持ちでした。
で、会社を辞める1年ぐらい前から、何となく農業かなと思い始めたんですよ。
元々自分で食べるものは自分で作りたいという欲求があって、当時は埼玉のアパート暮らしでしたが、自分で味噌を作ったり、市民農園を借りて野菜を作ったりして、それがおもしろかったんですよね。
自分で作ったほうが、おいしいものが採れるし、新鮮だし、たくさんできたものをお金に換えていけば、カミさんと2人なら何とか生きていけるかなと。
そんな甘い考えでした(笑)
清:
でも、憧れだけで田舎暮らしや農業を始めて、やっぱり違うなとなって辞めてしまう人もいますよね。
松木:
まあ後戻りできないというのはありましたね。
僕は37歳で、それまで自分が培ってきたものを一度全部チャラにして農業の勉強を始めたわけですから。
でも、そうは言っても最初は本当に世捨て人みたいなつもりだったんですよ。
その頃の僕は、20年近く東京でもまれながら仕事をしてきて、すべての面で自分自身がすごく疲れちゃっていたと思うんですよ。
それが、こちらで暮らしているうちにストレスが抜けて、元気が出てきたんでしょうね。
清:
たしかに、そういう効果はあるでしょうね。
松木:
間違いないですね。
で、そのうちにこうした中山間地の農業の現状というのが見えてきて、日本は耕作放棄地がどんどん増えてきて、農業従事者の平均年齢はこんなに高くて、食糧自給率はこんな低いと。
その反面、自分がやってみると、こんなにおもしろい仕事で、僕のようにゼロから始めてもちゃんと食っていけるのに、なんでみんなやらないのかなと。
それは、中山間地において農業でちゃんとビジネスモデルとして成功している人がいないのが原因で、まずはそれを作らないとダメだという使命感みたいなものが徐々に出てきたんですよ。
それが実際に今やっていることで、それによって新規に就農する人が増えてくれたらいいなと思っているんですよね。
清:
松木さんのような人がいると本当にありがたいですね。
こういう地域は若い人たちがどんどん出ていっちゃうのが悩みなんですが、松木さんのような志でやっている人がいると心の支えになって、多くの人が希望を持てると思うんですよね。
松木さんには、ぜひ新たな農業を模索している人たちに、こういう成功例というのがあるよという夢を持たせてほしいですね。
松木:
そうなりたいですね。
農業がおもしろい仕事で、しかもそれで食べていける。
それで地域にも貢献できて、国の根幹になる産業でもあるんだというところを、もっと多くの人にわかってもらわないといけない。
先日、うちに農業体験に来た若い子が言っていたんですが、中学や高校の進路相談で農業をやりたいと言ったら、先生に食えないからやめろと言われ続けてきたと。
それではダメでしょ。
進路指導の先生が、『農業はおもしろいからやってみれば』と言えるような社会を作っていかないといけないですよね。
清:
本当にその通りだと思います。
松木:
清さんも、酒造りを通して地域の活性化ということはかなり意識してますよね。
清:
そうですね。
たとえば、稲穂酒の化粧に使う稲俵は、俵を編んだことのある地元のお祖母さんたちにお願いして作ってもらっているんですよ。
今の人は、俵の作り方を知らないので、お年寄りから従業員が教わっています。
そうした絶えてしまう恐れのある文化というのを、何らかの形で伝承していきたいという思いもあります。
お祖母ちゃんたちも、若い人と交流することや、僕らの仕事に関わることに喜びを感じてくれているみたいで、黙っていても本当に一所懸命仕事をやってくれます。
昔の人は真面目で勤勉ですよね。
松木:
では、清さんが今目指しているのは、どんなところですか?
清:
いちばん大事にしているのは、この会社が人や社会の役に立つというところですね。
うちのお酒を飲んだ方に喜んでいただくのはもちろんですし、地域貢献という意味でも、うちで働く人の喜びという意味でも。
うちは320年ぐらいこの場所で酒造りをしているんですが、その過程では本当にいろいろな人たちに支えられてきたので、地元や社会の役に立たなければいけないという思いは強くあります。
もちろん、ビジネスとして成り立たなければ、それも持続できませんし、富士錦の味をできるだけ多くの方に知っていただいいて、安心でおいしい酒を日常的に飲んでいただけるような形にできればと思っています。
ただ、酒造りは毎年1年生というか、とにかくその年その年に集中して造るというところがあるので、ビジネス面での将来の目標というのは立てにくいんですよね。
松木:
なるほど。
ただ、僕がいちばん残念に思うのは、ちゃんとした製品を作っているのに、それが理解されずに経営が苦しくなってしまう会社が少なくないということなんですよ。
農家でも同じで、すごくおいしいニンジンを作れるのに、それを市場に持っていったら、普通のニンジンと同じ価格になっちゃう。悲しいですけど、そういうケースが多いんですよ。
その意味でも、富士の麓でこんなふうにおいしいお酒を造っているということを、できるだけ多くの方に知ってほしいですよ。
清:
そうなるとうれしいですね。
それがいちばん難しいところですけど(笑)
松木:
でも、今はこの野菜がうまいとか、生産者だからわかる情報も多いので、それは発信していかないといけないですよ。
清:
そうですね。お酒の世界では『大切なのは出会い方』という言葉をよく聞くんですが、私の場合は、清酒との出会い方が最悪でした。
大学に入って新歓コンパのときに『オレの酒は飲めねーのか』と先輩に言われて、ビールや日本酒をチャンポンで飲まされて、ぶっ倒れて(笑)
それが何度も続いてトラウマのように残っていたんですが、本当においしいお酒を、おいしい食事と一緒にちょっとずつ飲んだりすれば、日本酒のイメージもまったく変わりますよね。
そういう意味でも、情報を発信していくことは大切でしょうね。
だから、若い人にもぜひ日本酒との良い出会い方をしてほしいと思って、リーズナブルな吟醸酒も販売しています。
松木:
僕も清さんと同じような経験ばかりですよ(笑)
時代的にもそうだったし、30歳ぐらいまではけっこう無茶な飲み方をしてましたね。
飲みに行くと、だいたい帰ってこなかったですから(笑)
だから、日本酒が本当に好きになったのは、比較的最近ですね。
ちなみに、僕がいちばん好きなお酒は、富士錦の“ふなくち酒”(純米生原酒)で、毎年正月にはあれを飲みながら1年が始まるという感じです(笑)
清:
ありがとうございます。
松木さんの野菜も、普段食べているものとはこんなに違うんだという感動がありますよね。
こうしてビオデリのお総菜を食べても、こんなおいしい食べ方があったのかと感心しますし、これも出会い方のひとつですよね。
松木:
そうですね。
やっぱり安全でおいしいものを食べるというのは、人間にとって大事ですよね。
僕は今度レストランをやろうとしているんですが、『レストラン』という言葉は、元はラテン語で『回復させる場所』という意味なんですよ。
精神や体力的に病んだ人が、レストランに行って食事することによって、心身ともに元気になると。
僕はこの土地に住んでだいぶ回復させてもらいましたが、元気の出るようなものを出さないとレストランとは言えないですね。
清:
なるほど。本当にその通りですね。
松木:
ただ、その話とは別に、日本酒って特別な飲み物だというイメージは持って欲しくないですよね。
日常的に晩酌で飲めるような気軽さも残してほしいと思います。
清:
僕らが目指しているところも本当にそこですね。
手頃な値段でいつでも手を伸ばせて、しかも安心でおいしい酒というのが、われわれの理想です。
富士錦がわれわれの日常生活から遠いところにあるものではなく、つねに近くにいる存在であってほしいと思いながら造っています。
その他に富士錦に何か望むことはありますか?
松木:
このまま変わらずに、今のスタイルを続けていってほしいですね。
それで、僕が目指すところと同様に、ひとつの成功例になってほしいと思います。
清:
お話をうかがって本当に元気づけられました。
せっかく同じ地域でやっているので、何か一緒にやりたいですね。
松木:
本当ですね。ぜひ一緒におもしろいことをやっていきましょう!
【松木氏プロフィール】
松木一浩 まつき かずひろ 1962年 長崎生まれ
レストランサービスの世界で東京やパリを舞台に豊富な経験を積み、恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」にて第一給仕長に就任。しかし、そこから有機農業の道へと大転身を決意し、99年に退職して栃木県での農業研修を積んだ後、静岡県芝川町に移住。
現在は3ヘクタールの野菜畑で有機栽培を行ない、07年には富士宮市に野菜惣菜店「ビオデリ」をオープン。今年の12月には、畑にレストランと加工所を併設した施設をオープンする予定。